支援物資輸送第三章

村本さんの大先輩の製材所に到着し、「温かいご飯をどうぞ食べて行って下さい。」と、厚くおもてなしして頂きました。そして、この次に行く大船渡の鹿児島屋さんのお話をすると、「大船渡の方は人的被害が凄いので、そちらへ全部の物資を持って行ってあげて下さい。こちらは人的被害はなく物資も入りますので!本当にお願いします。」と、この段階で私は胸が熱くなってました。

先輩の製材所のお名前は、㈲マルヒ製材さま、社長:日當社長

この後、津波で流された工場へ案内して頂きました。(ここからは撮影した物全てUPします)
流される前の事務所
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トラックが突っ込んでいるんです。この建物に相当数の波が突っ込んだそうです。事務所内部は

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津波が事務所内にも入り込み青森ひばの径1mもある丸太を事務所内まで運んできました。そして、一番社長が驚いたのが神棚だけは損傷がなかったことです。事務所裏の保管倉庫が

a0150218_19591565.jpgこのように、丸太が壁を突き破って何本も入りこんでいるのです。しかしこの事務所があったお陰で市街地に丸太が流れていかず、ここで殆どが止まっていたので、丸太が家を突き抜けたなどの被害が少なかったそうです。
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そして、製材所で一番大事な物が製材機と台車です。その二つとも木端微塵に壊されていました。建物内部は流れた木材が山盛りとなっていました。その材料を近くの山氏が丸太を掴むショベルカーを持ち寄って片づけをしています。胸が痛いです。

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敷地ないに建築していた小屋があったのですが、土台だけ残して上部は全て流されてしまってました。そして基礎の画像を見て下さい。奥が反っているのが解るでしょ、基礎アンカーごと押し流そうとしたのが解ります。そして電柱は真っ二つに折れていました。

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一番驚いたのが、この基礎にアンカー実は集成材を作っているので、ここで180㎜×500㎜の集成材の柱が立った小屋がありました。その柱のボルトの上から集成材が折れているんです。おれた構造躯体が右の写真です。この柱が何本も立っていたのに全て折れたそうです。

a0150218_20125275.jpg出荷待ちの材料を保管していた幅40mはある倉庫の中身全て流され、鉄骨作りの躯体もふにゃふにゃに曲がった状態です。この津波の威力は凄まじい威力だったのを物語ります。
そして、最後にこの周辺の住居や防波堤がどうなっているのか、防波堤の高さからどれ位高い津波が来たのか聞きましたので、写真でお知らせ致します。

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a0150218_20372813.jpgもう全ての物が波にさらわれ、車はいとも簡単に押し流され、電柱や土手建物に押し流されている状況の現場に私は、なんと声をかけたらいいか言葉が見つかりません。
住宅も新築の建物が防波堤の一番手前に建っていたのですが、地震での倒壊はしていませんでした。全て一階部分が津波にことごとく流されています。奥にある住宅も一階部分が大破していました。
そして、最後に普段の海なんですが、海まで数十メートルそして凄く穏やかな波なんです。それが、この写真に見える防波堤が地上から約5mの高さはあるのに、更にこの防波堤の上5m程の高さはあったと仰ってました。と、言うことは10m近い高さの津波だったということですよね?

その津波の威力は、鉄筋の入った防波堤を付け根から押し流していました。
この威力は尋常じゃない!こんなにひどい状況だったのに人的被害はなかったのが奇跡的だと思いました。

地震の後、付近の住民の方々は高台に上っていたのが幸いしたそうです。
私は初めて、津波の被害を見て絶句しました。
ですが、マルヒ製材の日當社長はこう仰ってました。
「命があったら、また頑張ればいつか復帰出来るよ!それまで出来る事をやって頑張ろう!」と、
「再始動は必ずします。そうやって日本人はどん底から這い上がってきたんだから!私は頑張ります。」
「落胆していても何も始まらいでしょ!常に前を見て歩こうよ。」と、本当にその通りだと思います。
私や村本社長も、今回支援物資を運んだのも、誰かがやるのを外から見るのではなく、自らが動いて助けを求めている人の為に何か一つでもお役に立ちたい!この一心で、動きました。

私は被災地に来て、被害に合われた方々から凄く学んだ気がしました。
日當社長は、本当に凄い人です。協力できることはいつでも致します。

そして11時過ぎに最後の大船渡へ迎いました。ここから4時間先です。
大船渡の実情は、第四章で書きたいと思います。
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by yanchyanapapa | 2011-03-17 19:38
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