2011年 03月 17日 ( 2 )

支援物資輸送第三章

村本さんの大先輩の製材所に到着し、「温かいご飯をどうぞ食べて行って下さい。」と、厚くおもてなしして頂きました。そして、この次に行く大船渡の鹿児島屋さんのお話をすると、「大船渡の方は人的被害が凄いので、そちらへ全部の物資を持って行ってあげて下さい。こちらは人的被害はなく物資も入りますので!本当にお願いします。」と、この段階で私は胸が熱くなってました。

先輩の製材所のお名前は、㈲マルヒ製材さま、社長:日當社長

この後、津波で流された工場へ案内して頂きました。(ここからは撮影した物全てUPします)
流される前の事務所
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トラックが突っ込んでいるんです。この建物に相当数の波が突っ込んだそうです。事務所内部は

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津波が事務所内にも入り込み青森ひばの径1mもある丸太を事務所内まで運んできました。そして、一番社長が驚いたのが神棚だけは損傷がなかったことです。事務所裏の保管倉庫が

a0150218_19591565.jpgこのように、丸太が壁を突き破って何本も入りこんでいるのです。しかしこの事務所があったお陰で市街地に丸太が流れていかず、ここで殆どが止まっていたので、丸太が家を突き抜けたなどの被害が少なかったそうです。
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そして、製材所で一番大事な物が製材機と台車です。その二つとも木端微塵に壊されていました。建物内部は流れた木材が山盛りとなっていました。その材料を近くの山氏が丸太を掴むショベルカーを持ち寄って片づけをしています。胸が痛いです。

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敷地ないに建築していた小屋があったのですが、土台だけ残して上部は全て流されてしまってました。そして基礎の画像を見て下さい。奥が反っているのが解るでしょ、基礎アンカーごと押し流そうとしたのが解ります。そして電柱は真っ二つに折れていました。

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一番驚いたのが、この基礎にアンカー実は集成材を作っているので、ここで180㎜×500㎜の集成材の柱が立った小屋がありました。その柱のボルトの上から集成材が折れているんです。おれた構造躯体が右の写真です。この柱が何本も立っていたのに全て折れたそうです。

a0150218_20125275.jpg出荷待ちの材料を保管していた幅40mはある倉庫の中身全て流され、鉄骨作りの躯体もふにゃふにゃに曲がった状態です。この津波の威力は凄まじい威力だったのを物語ります。
そして、最後にこの周辺の住居や防波堤がどうなっているのか、防波堤の高さからどれ位高い津波が来たのか聞きましたので、写真でお知らせ致します。

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a0150218_20372813.jpgもう全ての物が波にさらわれ、車はいとも簡単に押し流され、電柱や土手建物に押し流されている状況の現場に私は、なんと声をかけたらいいか言葉が見つかりません。
住宅も新築の建物が防波堤の一番手前に建っていたのですが、地震での倒壊はしていませんでした。全て一階部分が津波にことごとく流されています。奥にある住宅も一階部分が大破していました。
そして、最後に普段の海なんですが、海まで数十メートルそして凄く穏やかな波なんです。それが、この写真に見える防波堤が地上から約5mの高さはあるのに、更にこの防波堤の上5m程の高さはあったと仰ってました。と、言うことは10m近い高さの津波だったということですよね?

その津波の威力は、鉄筋の入った防波堤を付け根から押し流していました。
この威力は尋常じゃない!こんなにひどい状況だったのに人的被害はなかったのが奇跡的だと思いました。

地震の後、付近の住民の方々は高台に上っていたのが幸いしたそうです。
私は初めて、津波の被害を見て絶句しました。
ですが、マルヒ製材の日當社長はこう仰ってました。
「命があったら、また頑張ればいつか復帰出来るよ!それまで出来る事をやって頑張ろう!」と、
「再始動は必ずします。そうやって日本人はどん底から這い上がってきたんだから!私は頑張ります。」
「落胆していても何も始まらいでしょ!常に前を見て歩こうよ。」と、本当にその通りだと思います。
私や村本社長も、今回支援物資を運んだのも、誰かがやるのを外から見るのではなく、自らが動いて助けを求めている人の為に何か一つでもお役に立ちたい!この一心で、動きました。

私は被災地に来て、被害に合われた方々から凄く学んだ気がしました。
日當社長は、本当に凄い人です。協力できることはいつでも致します。

そして11時過ぎに最後の大船渡へ迎いました。ここから4時間先です。
大船渡の実情は、第四章で書きたいと思います。
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by yanchyanapapa | 2011-03-17 19:38

支援物資輸送第二章

東北道に入り、北へ走り始めるとまず道路がどうなっているかというと、高速道路の桁下をくぐれるようになっているの所が所々にありますよね?その下をくぐれる所って鉄筋コンクリートで四角にかたどってくり抜いたようになっている部分が、凄い段差が付いています。
ここをトラックが勢いよく走ると、相当なショックを受けますそして、荷物がバラバラになるおそれがあります。この段差がある部分の側道に、【段差有り】の看板がありますが、ほんの数m後ろにあるので、気付いた時には遅いので、十分なゆっくりな速度で走ることをお勧め致します。

この段差が多く存在する県は、福島県から宮城県は相当数の段差がありますので、ご注意下さい。
因みに、北へ走っていると、対向車線で必ず滅多に見れない光景が、時々やってきます。
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各地から応援に来ている救急車両が一斉に登ってきます。ず~とはるか先まで赤色灯が光ってて、その数何十台見たことか?ちょっとピンぼけすみません。走行中ですので、それと路肩のところどころに地震の被害を尚しているヶ所がありました。

そしてここからの話がちょっと感じたことを書きます。
実は、私達の向かう所は、岩手県久慈市なので、仙台よりもはるかに北です。仙台まではトラックがそこそこの台数走行していたのですが、仙台から先が全くと行っていいほどトラックがいないのです。上の写真でも解るように、進行方向にトラックのテールランプが光っていないでしょ?
何が言いたいかというと、報道では「物資が入ってきてます。」と、言っていますが、「東北地方には殆ど入っていないと違うだろうか?」支援物資というのは、殆どトラック輸送がメインとなるはずなのに、そのトラックが一台も走っていないんです。一般道を走っているのだろうか?「走っているのは緊急車両と私達だけ?」と、マジで思う程です。海からの輸送なんてどこも行ってないし、陸からも入っていないということは、皆さんの支援物資はまだ、各都道府県におかれたままなんだと思った。

私達はこんなことでいいのだろうか?と、不安な気持ちになりながら、いつか物資輸送のトラックを見るだろうと思いひた走っていると、結局大型トラック自体を見たのが指折り数える程でした。
そして、給油所見つけては補給して行き、丁度岩手県の半分位走った柴波S・Aに入って
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ここですが、「給油をして下さい。何リットルまでですか?」と聞くと、店員:「いえ満タン行けますよ!」と、「マジっすか?」と、要するにトラック自体が走っていないから備蓄されている量が相当あると言うことなん?ここで初めて満タン入れました。

「本当に太平洋側の被災地に物資が届いて入るのか不安になりました。」
満タンにして、更に北へ走り、夜中2時前だったと思うが滝沢S・Aについて遅くの晩御飯を食べて、ここで少しの仮眠をしました。出発時間は朝6時前です。しかし!寒い!暖房付けても寒すぎるんです。しかも村本さんは、S・Aの売店のベンチで寝てました。私はトラックの形状がベットが付いていないタイプなので、背骨を曲げながらホンマの仮眠程度でした。

夜が明けて、当たりが薄明るくなった頃、顔洗って更に北上したんですが、ここから先は全くと言っていいほどトラックが走っていません。こんな感じ
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全くなしです。それにサービスエリアにも4t車が2、3台程度です。段々と大船渡の現状が創造して来ました。
「製材所の社長が全く何も入ってこない!本当に何もないんやから!」の意味が理解できました。
もうちょっと待っとって下さい。
取り合えず先に目指すとこが、久慈市です。北へ進むにつれて相当な雪国に辺りが変わりました。
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八戸道に生半可な量でないでこれは!と思う程の雪・雪・雪・・・
八戸道に入ったら、私達しか走っていないと確信出来る程タイヤの跡がない。全く八戸には物資は入っていないのを確信した。そして九戸I,Cで下車し、カチンカチンに固まっている峠を越えて、久慈市に到着したのですが、車線を潰して凄い渋滞!これなんなんと待っている車に聞くとガソリンの補給待ちなんです。渋滞の長さ1K以上はありました。ホンマにカラッカラなのが解ります。

そして、なんとか無事に村本社長の一番大事な先輩の製材所に到着しました。所要時間20時間位かな? 
この後の話は第三章へ
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by yanchyanapapa | 2011-03-17 17:50