2011年 03月 19日 ( 1 )

支援物資輸送最終

皆様からご支援を頂き、皆様からの思いが一杯つまった支援物資がもうすぐで避難所に届けられます。途中いろんなことが起こり、最悪は「つかないかもしれない」というような、気持ちにもなりましたが、もう目的地はすぐそこまできました。

私は何回も来ているので、土地柄も知っているし、どんな風景だったかも全て解っています。
社長の車に先導してもらい、私達はついていきます。

製材所さんの住所は、大船渡市三陸町越喜来という大船渡市内から車で30分位走った小さな町で水産が盛んな町です。
グーグルで地図を見ながらの方が解ると思います。45号線を社長の後をついて行き、さんりく町に入るには相当な下り坂を降りて行きます。降りたと同時にさんりく町が右側に見えるのです。
その町が、町が、町が廃材置き場みたいになっているんです。
ここからは全ての写真をUP致します
(トラック運転しながらの撮影でピンボケすみません)
a0150218_22541852.jpg45号線を下った所から右に見えるさんりく町の模様、テレビで津波が押し寄せた後の映像はここから撮影したと思われます。
a0150218_22564632.jpg45号線を降りた所を右折し、さんりく町へ入っていきます。正面に見えるのがリアス線の高架橋です。
ここから段々街中が見えてきます。

a0150218_2321383.jpgリアス線高架橋を超えた今の町並です。前を走る車が社長が運転する車です。この町で育ったそうです。正面に見える家ははるか先にあった家だそうです。
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左写真が大船渡三陸保険センターです。左にちょこっと玄関が見えるのが、越喜来診療所です。そして右の写真が三陸保険センター前の姿です
a0150218_2395194.jpg反対側の片山写真館さん。二階部分が全て津波で削り取られています。この高さまで津波が襲ってきたのです。まさに10m以上はありました
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鈴甲さんや、その奥にあったヘアーサロンさん辺りの画像です。ここに店舗があったのか?と目を疑う光景です
a0150218_23163570.jpgその先209号線方向に入った所です。
a0150218_23185646.jpg手前左側に見えるのが、三陸郵便局です。走っている道路の瓦礫などは自衛隊の皆さんと協力しあいながら皆様で取り除いたそうです。
a0150218_23204954.jpg越喜来小学校です。もしグーグルなどで地図を見ながらたどってくるとどの道路から見た風景かわかると思います。
何故このような被災地の写真をUPしたかというと、実はここの場所にはまだまだ行方不明の方々がおられる見たいです。こんな状況下で水道・ガス・電気・携帯の電波全く来ていない、そしてバスや電車も通っていない、自家用車も津波に流されていたりと町は壊滅今は地元の人と自衛隊の方々とで瓦礫の撤去や行方不明者の捜索をして、恕序に復興に向けて動いているみたいです

a0150218_23344838.jpg以前のブログにUPしましたが、この写真真正面にかすかに見える集落が大丈夫だったのだろうか?と思っていたら、社長の車がこの下に降りて行きます。
実は降りた所にイワナが釣れるいいポイントがあるんです。ここへよく三重県で大工をしている、亀井さんがイワナ釣りをされていました。水がめっちゃ綺麗な小川が流れててその上にリアス線が走っています
a0150218_23455192.jpgかすかに土手が見えると思いますが、ですが家が倒れているのでこちらは地震の被害かな?と思っていました。
それは完全に違っていました。

a0150218_2350327.jpg津波が線路を超えてきたのです。そしてこの線路の向う側に7、8件の小さな集落がありました。それを全て飲み込んで、更に線路を越えて波が襲ってきたそうです。線路が防波堤の変わりになっててここは津波の高さ10m位の高さがないと超えてこないと言われてました。それが余裕で超えたんです。そしてこの通りは製材所さんの旧事務所に行く為に何回も通った場所やからどんな町だったか覚えています。それを全て飲み込んで行ったんです。
a0150218_23544996.jpgこの交差点を左に曲がると線路の向う側に行けて、正面まっすぐ行くと、高台になった所に社長のご自宅があります。高台の為社長のご自宅は津波の被害をまぬがれました。
そして、ここを右に曲がりお寺があります。そこが避難所です


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何とか5時前に到着出来ました。今か今かと待ちに待ったと思います。水・食料・火・毛布・ミルク・コンロ・軽油・灯油・おむつ・お菓子・洗剤・殆どの物が揃っています。それも4t車一杯の物資です。若い男の子や、さんりく町町長さんや家を流されて命からがら生き延びた方々20世帯の人達が心待ちしておられました。皆さん顔や手は真っ黒、服も粗同じ物をきていただろうと思う程汚れてます。

そして、一人また一人と握手を求めてくれます。私は本気の握手を初めて経験しました。涙を流されてありがとう。本当にありがとう。大阪から丸2日かけてここまでこんなに物資を運んでくれて、私達の命の恩人だよ!そして、小さなお子さんが、「おじちゃんありがと、また来てね。」とか、水もあるよ~米もあるよ~缶詰もある、毛布も一杯ある、これで寒くないよ!コンロもあるから炒め物も出来るよ!などあちらこちらで喜ばれているように思いました。

そして凄いことをお聞きしました。今避難場所や被災地では、お亡くなりになられた方々を荼毘にふすことが出来ない状態にあるんです。それは灯油が全く手に入らないからです。
灯油が来たから早くご遺体を荼毘にふせないといけないと・・・

そして何もなかった状態が5日程続いてたそうです。水もない、電気のない、火もない、電池がないから懐中電灯もつけれない。町は死んだ状態だったそうです。唯一の明かりはたき火の明かりだけが頼りで、携帯も繋がらないから、社長が携帯の電波が入る所まで行かないといけない状態。こんなことってあり得ますか?

最後の写真を見て下さい。
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皆さんの顔、笑顔が見えるでしょ?そして本当にありがたいと言ってくれてると思いませんか?
お一人お一人の顔を見ていると、涙がこみ上げてきて、こらえるのが辛かった。
最後に皆様が並んで、私と村本さんを紹介して頂いたのですが、皆様一斉にありがとうございました。これを言われた時はマジでヤバかったです。号泣しそうになった。

今こうやってブログを書いてますが、UPしながらその時のことが蘇ってきて目頭が熱いです。帰ろうかという寸前に一人の多分猟師さんだと思う人が、「兄ちゃんこれ持って帰ってや、非常食なんやけど、お土産にしてな。」
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これは社長の奥さまから頂いたんですが、これの6個入りのかもめの卵を私にくれました。
「6個入りのおまんじゅうが最後の食事になりかけていたなんて、そこまで切羽詰まっていたのか!」と、思うと悲しくてたまりませんでした。

他の避難場所ではもっと深刻なことに子どもが餓死している所もあるんです。
この物資達は仕分けして、それぞれに分けて避難場所に持って行くんだそうです。

避難場所での滞在時間、30分~45分位でした。確かに何十時間かけてきましたが、皆さんの嬉しそうなお顔を見れただけで「来てよかった。本当に来れてよかった!」と思いました。


尚、大船渡ではないですが、大きな避難場所に物資が来ても配れるすべがないなんて、おかしいやん!そこに行くまでのガソリンがない人もいてるし、車がない人もいるやん!
そして先日まで全くどこにも運んでないやん。今日明日から東北道とか物資の運搬車両だけ走れるようにするようなことラジオで言ってた。そんな状況で間に合うんかなと思う。

私は、この3月14日から本日19日までのことは一生忘れない!遠く関西からでも来ようと思えば来れる。災害で一人でも多くの人を救う為にいろんな国から援助隊が来てくれて一生懸命救助活動されているめっちゃありがたい。
その助かった人達が次に欲しいものは、衣食住だと思う。これからは配られることが増えてくると思いますが、まだまだ私達が持っていった位の物資では、足らないと思うし物資の配給作業をもっと頑張って欲しいと感じました。

最後の最後になりましたが、本日朝8時に私は金沢に到着しました。
到着し、お風呂に入って帰りたいと思っていたので、銭湯でお金を払おうと思った時に、社長から電話が入りました。
「本当にありがとうな!俺もお袋なくしているんや!でも泣きたくても泣けない状況にある。このことは絶対に忘れない!」と、声を震わせながらお電話を頂きました。
私もダメでした。同じように感極まってしまいました。
「本当に助かってよかった~!」と何回も何回も言ってました。
感動とかの涙ではなく、なんと言ったらいいんだろう?
なんか解らないねんけど、今現在も目をつむれば先日一日の出来事が走馬灯のように思い出してしまう。そして感きわまってしまいます。

各地の被災者の皆様に対して、
絶対に物資は届きます。「生きる絶対に生きるんだ」と強く気持ちを持って頂きたい。
決してあきらめないで下さい。

最後に今回ご協力頂いた、小谷様・前田様・園道様・村本様・そして馬場様・田中家一同、
本当に心からありがとうございました。
社長さんに代わって厚く御礼申し上げます。

そして、大船渡に向かう道中にお声をかけて頂いたフェイスブックで友達になって頂いた皆様、皆様の言葉一つ一つが凄く励みになりました。
『なんとしも届けるんだ、たとえ道が崩れていようが、大雪で通行止めだろうが、絶対に行くんだ!』と強く気持ちを持てました。

本当にいろんな人に助けられました。ありがとうございました(すみません、誤字脱字はご了承下さい。)

最後に、村本さんのブログの内容も合わせてご一読ください。

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by yanchyanapapa | 2011-03-19 22:07