支援物資輸送最終

皆様からご支援を頂き、皆様からの思いが一杯つまった支援物資がもうすぐで避難所に届けられます。途中いろんなことが起こり、最悪は「つかないかもしれない」というような、気持ちにもなりましたが、もう目的地はすぐそこまできました。

私は何回も来ているので、土地柄も知っているし、どんな風景だったかも全て解っています。
社長の車に先導してもらい、私達はついていきます。

製材所さんの住所は、大船渡市三陸町越喜来という大船渡市内から車で30分位走った小さな町で水産が盛んな町です。
グーグルで地図を見ながらの方が解ると思います。45号線を社長の後をついて行き、さんりく町に入るには相当な下り坂を降りて行きます。降りたと同時にさんりく町が右側に見えるのです。
その町が、町が、町が廃材置き場みたいになっているんです。
ここからは全ての写真をUP致します
(トラック運転しながらの撮影でピンボケすみません)
a0150218_22541852.jpg45号線を下った所から右に見えるさんりく町の模様、テレビで津波が押し寄せた後の映像はここから撮影したと思われます。
a0150218_22564632.jpg45号線を降りた所を右折し、さんりく町へ入っていきます。正面に見えるのがリアス線の高架橋です。
ここから段々街中が見えてきます。

a0150218_2321383.jpgリアス線高架橋を超えた今の町並です。前を走る車が社長が運転する車です。この町で育ったそうです。正面に見える家ははるか先にあった家だそうです。
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左写真が大船渡三陸保険センターです。左にちょこっと玄関が見えるのが、越喜来診療所です。そして右の写真が三陸保険センター前の姿です
a0150218_2395194.jpg反対側の片山写真館さん。二階部分が全て津波で削り取られています。この高さまで津波が襲ってきたのです。まさに10m以上はありました
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鈴甲さんや、その奥にあったヘアーサロンさん辺りの画像です。ここに店舗があったのか?と目を疑う光景です
a0150218_23163570.jpgその先209号線方向に入った所です。
a0150218_23185646.jpg手前左側に見えるのが、三陸郵便局です。走っている道路の瓦礫などは自衛隊の皆さんと協力しあいながら皆様で取り除いたそうです。
a0150218_23204954.jpg越喜来小学校です。もしグーグルなどで地図を見ながらたどってくるとどの道路から見た風景かわかると思います。
何故このような被災地の写真をUPしたかというと、実はここの場所にはまだまだ行方不明の方々がおられる見たいです。こんな状況下で水道・ガス・電気・携帯の電波全く来ていない、そしてバスや電車も通っていない、自家用車も津波に流されていたりと町は壊滅今は地元の人と自衛隊の方々とで瓦礫の撤去や行方不明者の捜索をして、恕序に復興に向けて動いているみたいです

a0150218_23344838.jpg以前のブログにUPしましたが、この写真真正面にかすかに見える集落が大丈夫だったのだろうか?と思っていたら、社長の車がこの下に降りて行きます。
実は降りた所にイワナが釣れるいいポイントがあるんです。ここへよく三重県で大工をしている、亀井さんがイワナ釣りをされていました。水がめっちゃ綺麗な小川が流れててその上にリアス線が走っています
a0150218_23455192.jpgかすかに土手が見えると思いますが、ですが家が倒れているのでこちらは地震の被害かな?と思っていました。
それは完全に違っていました。

a0150218_2350327.jpg津波が線路を超えてきたのです。そしてこの線路の向う側に7、8件の小さな集落がありました。それを全て飲み込んで、更に線路を越えて波が襲ってきたそうです。線路が防波堤の変わりになっててここは津波の高さ10m位の高さがないと超えてこないと言われてました。それが余裕で超えたんです。そしてこの通りは製材所さんの旧事務所に行く為に何回も通った場所やからどんな町だったか覚えています。それを全て飲み込んで行ったんです。
a0150218_23544996.jpgこの交差点を左に曲がると線路の向う側に行けて、正面まっすぐ行くと、高台になった所に社長のご自宅があります。高台の為社長のご自宅は津波の被害をまぬがれました。
そして、ここを右に曲がりお寺があります。そこが避難所です


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何とか5時前に到着出来ました。今か今かと待ちに待ったと思います。水・食料・火・毛布・ミルク・コンロ・軽油・灯油・おむつ・お菓子・洗剤・殆どの物が揃っています。それも4t車一杯の物資です。若い男の子や、さんりく町町長さんや家を流されて命からがら生き延びた方々20世帯の人達が心待ちしておられました。皆さん顔や手は真っ黒、服も粗同じ物をきていただろうと思う程汚れてます。

そして、一人また一人と握手を求めてくれます。私は本気の握手を初めて経験しました。涙を流されてありがとう。本当にありがとう。大阪から丸2日かけてここまでこんなに物資を運んでくれて、私達の命の恩人だよ!そして、小さなお子さんが、「おじちゃんありがと、また来てね。」とか、水もあるよ~米もあるよ~缶詰もある、毛布も一杯ある、これで寒くないよ!コンロもあるから炒め物も出来るよ!などあちらこちらで喜ばれているように思いました。

そして凄いことをお聞きしました。今避難場所や被災地では、お亡くなりになられた方々を荼毘にふすことが出来ない状態にあるんです。それは灯油が全く手に入らないからです。
灯油が来たから早くご遺体を荼毘にふせないといけないと・・・

そして何もなかった状態が5日程続いてたそうです。水もない、電気のない、火もない、電池がないから懐中電灯もつけれない。町は死んだ状態だったそうです。唯一の明かりはたき火の明かりだけが頼りで、携帯も繋がらないから、社長が携帯の電波が入る所まで行かないといけない状態。こんなことってあり得ますか?

最後の写真を見て下さい。
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皆さんの顔、笑顔が見えるでしょ?そして本当にありがたいと言ってくれてると思いませんか?
お一人お一人の顔を見ていると、涙がこみ上げてきて、こらえるのが辛かった。
最後に皆様が並んで、私と村本さんを紹介して頂いたのですが、皆様一斉にありがとうございました。これを言われた時はマジでヤバかったです。号泣しそうになった。

今こうやってブログを書いてますが、UPしながらその時のことが蘇ってきて目頭が熱いです。帰ろうかという寸前に一人の多分猟師さんだと思う人が、「兄ちゃんこれ持って帰ってや、非常食なんやけど、お土産にしてな。」
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これは社長の奥さまから頂いたんですが、これの6個入りのかもめの卵を私にくれました。
「6個入りのおまんじゅうが最後の食事になりかけていたなんて、そこまで切羽詰まっていたのか!」と、思うと悲しくてたまりませんでした。

他の避難場所ではもっと深刻なことに子どもが餓死している所もあるんです。
この物資達は仕分けして、それぞれに分けて避難場所に持って行くんだそうです。

避難場所での滞在時間、30分~45分位でした。確かに何十時間かけてきましたが、皆さんの嬉しそうなお顔を見れただけで「来てよかった。本当に来れてよかった!」と思いました。


尚、大船渡ではないですが、大きな避難場所に物資が来ても配れるすべがないなんて、おかしいやん!そこに行くまでのガソリンがない人もいてるし、車がない人もいるやん!
そして先日まで全くどこにも運んでないやん。今日明日から東北道とか物資の運搬車両だけ走れるようにするようなことラジオで言ってた。そんな状況で間に合うんかなと思う。

私は、この3月14日から本日19日までのことは一生忘れない!遠く関西からでも来ようと思えば来れる。災害で一人でも多くの人を救う為にいろんな国から援助隊が来てくれて一生懸命救助活動されているめっちゃありがたい。
その助かった人達が次に欲しいものは、衣食住だと思う。これからは配られることが増えてくると思いますが、まだまだ私達が持っていった位の物資では、足らないと思うし物資の配給作業をもっと頑張って欲しいと感じました。

最後の最後になりましたが、本日朝8時に私は金沢に到着しました。
到着し、お風呂に入って帰りたいと思っていたので、銭湯でお金を払おうと思った時に、社長から電話が入りました。
「本当にありがとうな!俺もお袋なくしているんや!でも泣きたくても泣けない状況にある。このことは絶対に忘れない!」と、声を震わせながらお電話を頂きました。
私もダメでした。同じように感極まってしまいました。
「本当に助かってよかった~!」と何回も何回も言ってました。
感動とかの涙ではなく、なんと言ったらいいんだろう?
なんか解らないねんけど、今現在も目をつむれば先日一日の出来事が走馬灯のように思い出してしまう。そして感きわまってしまいます。

各地の被災者の皆様に対して、
絶対に物資は届きます。「生きる絶対に生きるんだ」と強く気持ちを持って頂きたい。
決してあきらめないで下さい。

最後に今回ご協力頂いた、小谷様・前田様・園道様・村本様・そして馬場様・田中家一同、
本当に心からありがとうございました。
社長さんに代わって厚く御礼申し上げます。

そして、大船渡に向かう道中にお声をかけて頂いたフェイスブックで友達になって頂いた皆様、皆様の言葉一つ一つが凄く励みになりました。
『なんとしも届けるんだ、たとえ道が崩れていようが、大雪で通行止めだろうが、絶対に行くんだ!』と強く気持ちを持てました。

本当にいろんな人に助けられました。ありがとうございました(すみません、誤字脱字はご了承下さい。)

最後に、村本さんのブログの内容も合わせてご一読ください。

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# by yanchyanapapa | 2011-03-19 22:07

九戸から大船渡への間で起きた出来事

久慈市のマルヒ製材さんにお昼ご飯でおにぎりをお土産に握って頂き、11時に久慈市を出発致しました。凍結した峠を越えて九戸I,Cから、八戸道に上り来た道を引き返し取り合えず水沢I,Cに向かおうと、走り始めて10分位経った瞬間に、突然左の後ろの方から、「パーん」と轟音上げました。
「アカンこれは間違いないパンクや!」と路肩に止めて、目視で確認したのですが、外側のタイヤは空気が抜けている訳ではなく、何の異常も見当たらないので、ちょっと意味不明な半ば嫌な気持ちを抱えたまま東北道をひた走り続けました。
高速途中で来る時に補給したS,Aの登り側で補給をしようとスタンドに入ると、軽油ありません。
「マジか~!」いよいよ持参した軽油を投入する時が来ました。
a0150218_2118515.jpgこの給油している時に、目の前にタイヤがあるのにチェックしてなかったのが、この後起こる悲劇に繋がるんです。

そして給油も完了して、高速をなんも違和感もなく物凄く綺麗な岩手山を見ながら水沢を目指して午後2時過ぎに水沢I,Cを降りて下道を走っていました。
すると、また左側から「パーん」と轟音が響き、「これはもう間違いなくパンクやな!」と、確信っていうかそれしかないやん!後輪2本見事にこのように返信しました。

a0150218_21234363.jpg2本バーストしております。しかも内側は原形をとどめていません。これは最悪な状況になりました。
急いで、大船渡の製材所社長に正直連絡するのが嫌でした。ですが、待ち合わせしていたので、現実を告げないといけないと思い、連絡
私:「2本バーストして走れないから何とかタイヤ交換出来る所を探して欲しい。」
社長:「そりゃアカンわ~!探してみるから、また連絡する。」
社長の声ちょっとトーンダウン。

こちらでも、昔取った杵柄ではないですが、長距離の運転手してた頃を思い出して、取り合えずは日産車なので、近くの日産ディーゼルに連絡して、「なんとかパンク修理してくれる所を探して下さい。」正直言うと、これで日産に「無理です。」と断られてたら終わってた。
荷物運搬出来ず、走れず、帰れずの最悪な状況になっていた。
しばらくして連絡があり、「スタッドレスの新品を持っている所が全て休みで空いてません。」
ドキ!それはアカンで~!
ですが、「使えるだろうと思える中古のタイヤなら何とか用意出来ますが、それでいいのなら・・・」と言いきる前に、「それでいいから早く来て下さい。」即答
「解りました。隣の北上市から向かわせますので、1時間程お待ち下さい。」
了解も何もない、「早く来てくれ~!」状態
村本さんと二人して外に出て寒い中フェイスブックにUPする写真を撮って、その画像を全く同じ時間にUPしていた。
車の中にいてると追突されても困るので、ガードマンみたいに走行してくる車に注意を呼びかける作業をしてました。
この時間以上に長かった~。。。
何分待ったか解らないが、凄い車がやって来てくれました。
a0150218_21382488.jpg凄い設備です、バランスを図る工具や、よくF1のタイヤ交換でみたことある機械でナットを外す工具に、なんしか全てがついてる車、北村さんが言ってたけど、F1のピット車みたいなやつ。

自分で交換作業したら間違いなく2時間コース!それをたった30分で脱着・交換終了しました。
念のために全てのタイヤの空気圧や漏れがないかをチェックして貰って、完璧に直して頂きました。

よかった~!ホンマに良かった!
この修理してくれるとこがなかったら、さっきも書いたけど、最悪な状況になっていた。

因みに、私と村本さんとは、干支が猪で丁度一回り違うのですが、よく人から
「二人は何かを持ってる」とよく言われるんです。それが何か今日解りました。
それは、「ハプニングがよくある。」ということです。

などとバカなことを言ってますが、この先めっちゃ急がないといけません。
作業完了した時間が3時半頃だった、「今から向かうで~!」と、社長に連絡入れようとするが、私のドコモは全く圏外、村本さんのauは所々で繋がりますが、今度は社長が携帯に出れない状況で、何処で待ち合わせをするか解りません。しかしまずは大船渡へ向かうしかありません。

やっと連絡がとれて、国道沿いのローソンで待ち合わせをしたんだが、これがまた「走りすぎたんちゃうの?」とか、「いやまだやで~!」とか言いながら、何とか社長と合流しそのまま避難所に向います。

すみませんこの後のことは、ちとトラウマになっているので、この次に書きたいと思います。
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# by yanchyanapapa | 2011-03-18 21:01

支援物資輸送第三章

村本さんの大先輩の製材所に到着し、「温かいご飯をどうぞ食べて行って下さい。」と、厚くおもてなしして頂きました。そして、この次に行く大船渡の鹿児島屋さんのお話をすると、「大船渡の方は人的被害が凄いので、そちらへ全部の物資を持って行ってあげて下さい。こちらは人的被害はなく物資も入りますので!本当にお願いします。」と、この段階で私は胸が熱くなってました。

先輩の製材所のお名前は、㈲マルヒ製材さま、社長:日當社長

この後、津波で流された工場へ案内して頂きました。(ここからは撮影した物全てUPします)
流される前の事務所
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トラックが突っ込んでいるんです。この建物に相当数の波が突っ込んだそうです。事務所内部は

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津波が事務所内にも入り込み青森ひばの径1mもある丸太を事務所内まで運んできました。そして、一番社長が驚いたのが神棚だけは損傷がなかったことです。事務所裏の保管倉庫が

a0150218_19591565.jpgこのように、丸太が壁を突き破って何本も入りこんでいるのです。しかしこの事務所があったお陰で市街地に丸太が流れていかず、ここで殆どが止まっていたので、丸太が家を突き抜けたなどの被害が少なかったそうです。
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そして、製材所で一番大事な物が製材機と台車です。その二つとも木端微塵に壊されていました。建物内部は流れた木材が山盛りとなっていました。その材料を近くの山氏が丸太を掴むショベルカーを持ち寄って片づけをしています。胸が痛いです。

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敷地ないに建築していた小屋があったのですが、土台だけ残して上部は全て流されてしまってました。そして基礎の画像を見て下さい。奥が反っているのが解るでしょ、基礎アンカーごと押し流そうとしたのが解ります。そして電柱は真っ二つに折れていました。

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一番驚いたのが、この基礎にアンカー実は集成材を作っているので、ここで180㎜×500㎜の集成材の柱が立った小屋がありました。その柱のボルトの上から集成材が折れているんです。おれた構造躯体が右の写真です。この柱が何本も立っていたのに全て折れたそうです。

a0150218_20125275.jpg出荷待ちの材料を保管していた幅40mはある倉庫の中身全て流され、鉄骨作りの躯体もふにゃふにゃに曲がった状態です。この津波の威力は凄まじい威力だったのを物語ります。
そして、最後にこの周辺の住居や防波堤がどうなっているのか、防波堤の高さからどれ位高い津波が来たのか聞きましたので、写真でお知らせ致します。

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a0150218_20372813.jpgもう全ての物が波にさらわれ、車はいとも簡単に押し流され、電柱や土手建物に押し流されている状況の現場に私は、なんと声をかけたらいいか言葉が見つかりません。
住宅も新築の建物が防波堤の一番手前に建っていたのですが、地震での倒壊はしていませんでした。全て一階部分が津波にことごとく流されています。奥にある住宅も一階部分が大破していました。
そして、最後に普段の海なんですが、海まで数十メートルそして凄く穏やかな波なんです。それが、この写真に見える防波堤が地上から約5mの高さはあるのに、更にこの防波堤の上5m程の高さはあったと仰ってました。と、言うことは10m近い高さの津波だったということですよね?

その津波の威力は、鉄筋の入った防波堤を付け根から押し流していました。
この威力は尋常じゃない!こんなにひどい状況だったのに人的被害はなかったのが奇跡的だと思いました。

地震の後、付近の住民の方々は高台に上っていたのが幸いしたそうです。
私は初めて、津波の被害を見て絶句しました。
ですが、マルヒ製材の日當社長はこう仰ってました。
「命があったら、また頑張ればいつか復帰出来るよ!それまで出来る事をやって頑張ろう!」と、
「再始動は必ずします。そうやって日本人はどん底から這い上がってきたんだから!私は頑張ります。」
「落胆していても何も始まらいでしょ!常に前を見て歩こうよ。」と、本当にその通りだと思います。
私や村本社長も、今回支援物資を運んだのも、誰かがやるのを外から見るのではなく、自らが動いて助けを求めている人の為に何か一つでもお役に立ちたい!この一心で、動きました。

私は被災地に来て、被害に合われた方々から凄く学んだ気がしました。
日當社長は、本当に凄い人です。協力できることはいつでも致します。

そして11時過ぎに最後の大船渡へ迎いました。ここから4時間先です。
大船渡の実情は、第四章で書きたいと思います。
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# by yanchyanapapa | 2011-03-17 19:38

支援物資輸送第二章

東北道に入り、北へ走り始めるとまず道路がどうなっているかというと、高速道路の桁下をくぐれるようになっているの所が所々にありますよね?その下をくぐれる所って鉄筋コンクリートで四角にかたどってくり抜いたようになっている部分が、凄い段差が付いています。
ここをトラックが勢いよく走ると、相当なショックを受けますそして、荷物がバラバラになるおそれがあります。この段差がある部分の側道に、【段差有り】の看板がありますが、ほんの数m後ろにあるので、気付いた時には遅いので、十分なゆっくりな速度で走ることをお勧め致します。

この段差が多く存在する県は、福島県から宮城県は相当数の段差がありますので、ご注意下さい。
因みに、北へ走っていると、対向車線で必ず滅多に見れない光景が、時々やってきます。
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各地から応援に来ている救急車両が一斉に登ってきます。ず~とはるか先まで赤色灯が光ってて、その数何十台見たことか?ちょっとピンぼけすみません。走行中ですので、それと路肩のところどころに地震の被害を尚しているヶ所がありました。

そしてここからの話がちょっと感じたことを書きます。
実は、私達の向かう所は、岩手県久慈市なので、仙台よりもはるかに北です。仙台まではトラックがそこそこの台数走行していたのですが、仙台から先が全くと行っていいほどトラックがいないのです。上の写真でも解るように、進行方向にトラックのテールランプが光っていないでしょ?
何が言いたいかというと、報道では「物資が入ってきてます。」と、言っていますが、「東北地方には殆ど入っていないと違うだろうか?」支援物資というのは、殆どトラック輸送がメインとなるはずなのに、そのトラックが一台も走っていないんです。一般道を走っているのだろうか?「走っているのは緊急車両と私達だけ?」と、マジで思う程です。海からの輸送なんてどこも行ってないし、陸からも入っていないということは、皆さんの支援物資はまだ、各都道府県におかれたままなんだと思った。

私達はこんなことでいいのだろうか?と、不安な気持ちになりながら、いつか物資輸送のトラックを見るだろうと思いひた走っていると、結局大型トラック自体を見たのが指折り数える程でした。
そして、給油所見つけては補給して行き、丁度岩手県の半分位走った柴波S・Aに入って
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ここですが、「給油をして下さい。何リットルまでですか?」と聞くと、店員:「いえ満タン行けますよ!」と、「マジっすか?」と、要するにトラック自体が走っていないから備蓄されている量が相当あると言うことなん?ここで初めて満タン入れました。

「本当に太平洋側の被災地に物資が届いて入るのか不安になりました。」
満タンにして、更に北へ走り、夜中2時前だったと思うが滝沢S・Aについて遅くの晩御飯を食べて、ここで少しの仮眠をしました。出発時間は朝6時前です。しかし!寒い!暖房付けても寒すぎるんです。しかも村本さんは、S・Aの売店のベンチで寝てました。私はトラックの形状がベットが付いていないタイプなので、背骨を曲げながらホンマの仮眠程度でした。

夜が明けて、当たりが薄明るくなった頃、顔洗って更に北上したんですが、ここから先は全くと言っていいほどトラックが走っていません。こんな感じ
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全くなしです。それにサービスエリアにも4t車が2、3台程度です。段々と大船渡の現状が創造して来ました。
「製材所の社長が全く何も入ってこない!本当に何もないんやから!」の意味が理解できました。
もうちょっと待っとって下さい。
取り合えず先に目指すとこが、久慈市です。北へ進むにつれて相当な雪国に辺りが変わりました。
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八戸道に生半可な量でないでこれは!と思う程の雪・雪・雪・・・
八戸道に入ったら、私達しか走っていないと確信出来る程タイヤの跡がない。全く八戸には物資は入っていないのを確信した。そして九戸I,Cで下車し、カチンカチンに固まっている峠を越えて、久慈市に到着したのですが、車線を潰して凄い渋滞!これなんなんと待っている車に聞くとガソリンの補給待ちなんです。渋滞の長さ1K以上はありました。ホンマにカラッカラなのが解ります。

そして、なんとか無事に村本社長の一番大事な先輩の製材所に到着しました。所要時間20時間位かな? 
この後の話は第三章へ
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# by yanchyanapapa | 2011-03-17 17:50

支援物資輸送第一章

3月11日(金)に起こった未曾有の大地震、東北から関東まで500Kにも及ぶ断層のずれで起こった、東北関東大地震についてまとめました。
この一つ前のブログ記事にもしましたが、岩手県大船渡市三陸町という場所に赤松の製材所があります。
そこの社長から14日(月)中々電話することも出来ない中、社長より電話がかかってきました。
社長:「嫁さん・息子・嫁、社員全員は何とか無事だ!お袋は亡くなった」
社長:「そしてどうしても助けて欲しいことがあるんだよ。」
社長:「全くと言っていい程の物資が入ってこないし、衣食住のすべてがないんだよ。」
社長:「少なくてもいいから送ってくれないか?」
私:「なんとか集めてみます。そしてどうにか持って行きます。」
社長:「解った!本当に助けてくれ~!また連絡するからな!」
このやり取りだけして、電話を切りました。大船渡は電気が全く通ってないので、残り少ない携帯の電池で伝えてこられました。
ここから、私はどうやって救援物資を集めるのか悩みました。

15日(火)その時に、私今月3日からフェイスブックというサイトに登録して、いろんな情報を掲示したりして遊ぶと言うか情報交換をしていたので、このフェイスブックに「岩手県大船渡市にある製材所が、地震の被害にあり救援物資を集めたいです。」と、掲示致しました。
すると、兵庫県西宮のマスタープラン一級建築士事務所/小谷さんからフェイスブックに投稿があり、「物資協力致します」と、そのすぐ後に茨木市の前田木材㈱さんからも「是非協力させて下さい。」と、その後石川県金沢市の㈱ムラモトさん、福井県あわら市のエンドウ建材さん、そして勿論我が社コボット㈱スタッフ一同で、集めれるだけ集めることにしました。
そして、岩手の製材所社長より電話が入り、
「岩手までは入れないから、山形の工務店さんに物資を運んでくれないか?そこへ取りに行くから。」
「解りました。山形ですね!こちらでトラック手配しているので行きます。」
そして、協力頂いた皆様に連絡して「何とか明日中に物資を集めて下さい。」と以来

翌16日(水) 朝から事務所で調達に紛争しました。なんしか4t車積めるだけ積もうとなり、私はトラックを借りるのに最後の電話を入れると、「無理です。」と、そこからレンタカー全てに連絡、連れの日産ディーゼル修理工の連れにも連絡しどこかで、借りれる所を探しましたが、全くありません。
アカン!最悪は4t平ボディーの車で行こうか?と悩んでムラモトさんへ連絡すると、
「あきらめるな!一刻を争うんや!トラックならムラモトの4トン車があるではないか!だから荷物いの用意をしてくれ。」と、言って頂きました。そこからこちらで集められる物を全て用意し、
翌朝5時にムラモトさんが金沢から荷物を取りに来てくれるようになり、マスタープランさんの物資と当社物資の全てを揃えました。

翌17日(木)朝5時に、ムラモトさんが金沢から大阪まで来てくれました。そこで当社の荷物を積み込みその足で、枚方市の前田木材㈱へ荷物の積み込みに迎います。ここで驚いたのが前田さんの用意してくれた物資の量がハンパねえ~量です。毛布100枚・古着何十着、たった一日でこれだけの量を用意してくれたことにホンマに感謝です。そして積み込み始めて1時間位でようやく積み込み完了しました。
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殆ど箱の上まで、ビッシリ詰まった物資です。実はこれにプラス、ムラモトさんの荷物を金沢で積込み致します。
そして、山形まで行く私と村本社長!「今から行くから待っといてくれ~!」と、いざ出発!

第二京奈和道路に乗り、名神高速に入り、八日市を超えたあたりから大雪になってます。実はここから山形まで日本海周り全て雪マークです。
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「こんな状態が新潟⇒山形まで続くのだな~」と、しかしトラックのタイヤはバッチリスタッドレスなので準備バッチリ・・・のはずが後に凄いことになる)
ということで順調に走って、金沢で追加の荷物を積み込み、軽油も18L缶20本にして十分な予備も積んで、「これで行きも帰りも安心だな?」と、順風満帆にひた走って新潟に入ったあたりに、ムラモトさんから一言驚きのサプライズ発言
「実は、誰にも言ってないんやけど、俺の大事な大事な先輩が久慈市にいてるんや!そこの製材所が津波に流されたから、どうしても物資を持って行きたいんや!」と、私は一瞬耳を疑いました。
久慈市というと、青森県八戸のすぐ隣の太平洋沿岸の町です。「え!どうやって?」
村本さん:「取り合えず磐越道に入って検問しているからそこで通行許可書を発行して貰えればいいねん。」
私:「ま!マジッすか?そんな発行してくれるのですか?あかなんだら間違いなく行くのに丸2日掛かりますよ?」
村本さん:「ええねん!取り合えず検問してるとこまで行こう!」
この間北陸道の各ガソリンスタンドへ行き、軽油を追いたし追いたしするんやけど、どこも2,000円までや3,000円まででお願いしますの繰り返し、でもいれないよりかマシなので、ちょっとづつ入れ続け磐越道に入った頃は、満タン状態で、いよいよ検問所に突入!検問をしているパーキングはここです。
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この物々しい写真見て解るでしょ?中々通らせてもらえない状況が!取り合えず、ダメ元で交渉をするのですが、嘘ついて許可証をもらうことにしました。免許証・車検証は勿論、同意書にサインと、どこまで行くか?何をしに行くか?を詳細に記載しないといけません。(ここで注意個人宛に行くというと絶対に通してくれません。)必ず「どこどこの避難所に行く救援物資だ」と、言うと発行してくれます。因みに個人のバンや1BOXは無理だと思います。トラックを乗っていると発行してくれるじゃないかと思います。そして、待つこと数分【緊急】と書かれた通行許可書を頂きました。これで前線高速で行けます。山形ではなく、岩手県久慈市までとなりました。この時の時間は18時頃です。
緊急車両が一杯止まっていました。隣に泊まっていたのは、大阪の隣町京都府からの救急車でした
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全国から救助活動する為に東北へ集まっています。私達も明日の朝一には久慈に入る為、仕切り直して磐越道⇒東北道⇒八戸道を目指します。
ですが、ここから豪雪地帯に突入で、猛吹雪状態です。そして磐越道も所々被害にあってて段差がついてたりして、走るのに注意しないといけません。それに北陸道と一緒で、給油出来るS・A全て入りちょっとづつでも燃料を継ぎ足します。
何故このようなことをするかというと、極力トラックに積んでる軽油を使わないで被災地の皆さんに配りたいと思ったからです。
約3時間程走って、11時前に東北道に入りました。ここまでで途中積込みの時間を省いて13時間走っています。
東北道に入ってからが、驚きの連続です。この続きは 第二章へ
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# by yanchyanapapa | 2011-03-16 12:55

ホンマによかった。

先週の記事にUPした、岩手県大船渡市にある松の製材所さんの安否情報について、
本日お昼過ぎに連絡が取れました。
社員の人の携帯に連絡しましたが、携帯電話が充電切れ状態!
社長の携帯に連絡入れると、「プルル~」とコールしました。「やった~!無事でいてくれ!電話に出てくれ~!」と祈る思いで、受話器を握っておりました。
繋がりましたが、「只今電話に出れません。お手数ですが時間をおいてもう一度おかけ直し下さい。」
再度トライしてみました。コールして、「またダメかぁ~?」と、思った矢先
「おう!田中君。なんとか無事だよ~」と、いつものだみ声が響いてきました。
「ホンマによかった~!心からよかった~!」と、何度も口にしました。
社長・奥さま共々ご無事で何よりです。
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この笑顔がまた見れるんです。こんなに嬉しいことはありません。

そして、お電話の中で、「至急物資を送って欲しい!。」と、電気が通っていないので、TVは勿論ラジオも聞けない状況らしく、陸前高田市の被害状況がはるかに凄い為、物資や自衛隊はそちらに行ってて、大船渡には何も入ってない状況になっているそうです。

そして、情報源が閉ざされている為、救援物資が中々送れない状態にあるなんて、社長も知らない状況。
電話で被災地の状況を確認したんやけど、どうすることも出来ないこのもどかしさに、自分自身に無性に腹が立つ!
そして、現在被災地で欲しい物も奥さまから依頼されたので、ここでお知らせしたい。
一番欲しい物
乾電池 単1・単3・単4 多ければ多い程ありがたい、ライター及びマッチろうそくホッカイロ
トイレットペーパーティッシュペーパー


そして、食料関係では

カップラーメン袋ラーメンレトルト食品スポーツ飲料ジュース調味料缶づめ、など、日持ち出来る物

その他
毛布水のいらないシャンプータオル携帯トイレ、津波被害により住宅自体流されている為古着などあればいい!

上記の内容の物を被災地の人達は今欲しい物なんです。

被災者は物資を今か?今か?と待っているんです。テレビもラジオもつかない、真っ暗な世界で頼りになるのは、皆様からの温かい物資の供給なんです。
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# by yanchyanapapa | 2011-03-14 18:44

凄いことになった。

本日昼2時過ぎに、宮城県沖で、マグニチュード8.8 過去最大級の地震が発生!
皆さんはもうご存知だと思います。
実は、私の床板の仕入れ先が、大船渡市にあります。

そこの社長と電話で見積りの話をしていると、
社長「うわ~!これはひどいぞ~!」
製材所事務スタッフ「ワ~!キャー!」と電話の後ろで聞こえます。
私「ど!どうしたんですか~?」
社長「凄い揺れが起こってる~!凄い地震だ~!この言葉を最後にプ―・プ―・プ―」電話不通

この後、私の事務所でも「ユラ~ユラ~ユラ~」と長い横揺れが1分以上続きました。
すぐさま、岩手の社長に何回か連絡を入れてみるが全く音信不通です。

この岩手の製材所のある場所は、断崖絶壁が続く岩手県三陸海岸沿いの高台の上にあるのですが、
子どもさん達が住んでいる所は、大船渡市で海と陸地の高さが数十センチしかありません。
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これは、昨年に製材所に行った時に撮影した写真です。この川の週十メートル先が海です。多分まだ想像ですが、この川を津波が上がってきたはずです。
そして、この左側にご家族が営業されているお店がありますし、二代目の息子さんが居住している家もあります。仙台名取川流域の映像や、石巻市の映像を見ると、凄く安否が気になる。
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これが製材所の風景なんですが、写真正面下部に見える所の左側(山で見えませんが)は海です。
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製材所のストックヤードですが、平積みしてある物が全て落ちたと思うし、今現在は相当な量が積まれていると思います。社長が「当社の注文分もこの下においてあるからね!」と、言っていた。粗崩れていると思う。
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最後に工場全体です。この写真は過去の物なんですが、今は最後に丸太の仕入れ時期なので、相当数の丸太が入っていたそうです。これは昼社長と電話していた時に言ってました。
実は、この製材所は山を削って段々畑みたいにしてあるんです。一番心配しているのは土砂崩れ起こしていないか?がマジで心配。
そして、丸太を挽く台車が地震で飛んでいたら…などなど心配事が山ほど出てきます。

私も神戸の大地震を経験致しました。だから何が不足で、被災者の皆様が何をして欲しいか?がよく解ります。
是非、このブログをご覧の皆様で、被災に合われなかった方々は是非義援金やボランティア活動をして頂きたい。私も製材所の社長と連絡取れ次第、お手伝いに向かいたいと思っております。

何しか社長以下社員皆様のご家族全てご無事でありますように、心から願っております。
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# by yanchyanapapa | 2011-03-11 19:17