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「家に帰っても自分の居場所がない」と嘆くお父さんがよくいます。
これは最初から家の選び方、建て方、使い方が間違っているからです。 家にいる時、自分はどんな風でありたいのか?何を一番にしたいのか? これをしっかり考え、その場所を真っ先に確保することからスタートしなければいけない。 自分の居場所がないのは、実は家の中ではなく心の中。 こうしたい、こうありたいという理想やビジョンがなかったことの結果ではないでしょうか? リビング・ダイニング・バス・トイレなど住居にはどうしても必要なものですが、そちらから先に発想してしまうと、ごくフツーのつまらない家になってしまいがちです。 広くなくてもいい、一番いい場所を自分用に押さえてしまうこと。 そこに本当に気に入ったものを置き、専用のいすのひとつも据えればいい。 残ったスペースをやりくりして、その他の必須の機能をなんとか詰め込みましょう。 この順序を逆さにすると子ども部屋はあるのに大人の個室がなくなります。 そんな心から安らげる場所を得るためにこそ、頑張って家を手に入れるのではありませんでしょうか? ■
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by yanchyanapapa
| 2014-06-20 10:49
| 真面目な話
こんな意見は、もう当たり前かもしれませんが、今一度書いてみました。
お金や土地などの条件が許す限り、大きな家を欲しがる人が、まだまだ多いような感じがしますが、とんでもない話だと私は思います。 住んでみればすぐにわかることだけれど大きな家とは、つまり無駄の多い家。 普段使うことのないスペースや設備がいっぱいあって、住みやすさから程遠いものです。 自分のためでなく他人の目から立派に見える家なんてつまらないじゃありませんか? 動物はすべて自分のサイズにあわせて巣を作りますよね? 居心地のいい場所は自分サイズに決まっているでしょ。 小さいというより、等身大の家という考え方。 今や車だって大型SUVや豪華ミニバンよりも、コンパクトサイズに人気が移ってきている時代。 もはや大きいことはプラスイメージではないのです。 千利休の2畳の茶室「待庵」。 20世紀最高の建築家ル・ゴルビジェが海を見下ろす南仏に立てた休憩小屋。 東西の最も知的でセンスのある人が自分の為に作った究極の空間はとても小さいことが、何かを示唆しているでしょう。 プランをけずりに削って、これ以上けずれないシンプルでコンパクトな住居こそ、本当にやすらぐ自分の場所になることだろうと私は思います。 ■
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by yanchyanapapa
| 2014-06-19 10:08
| 真面目な話
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